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Julie 的新CD預定三月十一日發賣,曲名和發賣日令我發揮無限想像,難道去年3月8日Julie觀天有所預感?這曲是哀悼?記念311?更可能的是提倡棄核能罷?但也有可能是歌頌女性播!?
我正在考慮,究竟是郵購丫?還是等去到日本才買?去到日本幫襯Tower丫?定係0係紀伊國屋サザンシアター場外現兜兜買?還是各買一隻?頭痕添。

2012年01月26日 15時30分 [エンタメ] 2012年01月バックナンバー
沢田研二がかつての仲間『ザ・タイガース』のメンバーと共に渡った全国ツアーが先日24日、ついにフィナーレを迎えた。最終日には激ヤセし、健康状態も不安視されているシロ-こと岸部四郎も登場。40年前と変わらぬ冴えたトークを見せファンに健在ぶりをアピールした。
さて、ここでファンが心待ちにしていたのは、やはりかつてジュリ-・沢田研二と人気を二分していたトッポこと加橋かつみの復帰である。
一部のファンの仲ではトッポの唯一の理解者であったと言われるピーこと瞳みのる(人見豊)の復帰のこともあり「トッポ飛び入り参加か?」との噂も流れていたようであるが、ついに加橋は姿を表わさなかった。
加橋かつみは、かつトグル-プ内での音楽性の違いや、グループサウンズ自体への違和感からタイガースを脱退。事務所あげての失踪劇まで繰り広げられた事はあまりに有名である。
しかしながら、当時より、沢田研二と加橋かつみの仲は最悪で、かつては沢田が新聞で「トッポはキチ○イ」と発言していたという物騒なエピソードも残っている。
もっとも加橋は加橋でライブハウスなどで精力的に活躍しているため、「あえて再びタイガースに戻る必要は無いのでは?」というトッポ側に立った意見や、「シロ-が来たので、後期メンバーは全員集結。これで再結集ということでいいのではないか?」という意見、「トッポとシロ-揃えての再結集を望んでいるのはジュリ-ただひとりのように見えた」という、かなり覚めた意見もありファンの間では今も議論が続いているようだ。
もっとも、メンバーは全員元気とは言っても既に還暦を過ぎ、岸部四郎の健康問題という、かなり切迫した問題も残っている。トッポ側にも、何かしらのアクションが求められる展開になるのは間違いないようだ。
解散から40年、大きな祭りを終えた今でも、ファンの間では議論の絶えないトッポ問題。これぞスーパースター集団の宿命か?
この日は、ボーカルの沢田研二さん(63)=ジュリー=、ベースの岸部一徳さん(65)=サリー=、ギターの森本太郎さん(64)=タロー=、解散後に高校教師に転身したドラムの瞳みのるさん(65)=ピー=の4人による全国ツアーの最終日だった。
3曲を歌った後、沢田さんが「一緒にこの時間を過ごしてくれてありがとう」と客席に語りかけると、「ジュリー」の声があがり、涙を流すファンも。「モナリザの微笑」「青い鳥」などザ・タイガースのヒット曲や、ザ・ローリングストーンズの名曲などを、ときに激しく、ときにしみじみと歌うメンバーの姿に歓声が止まらなかった。
途中、サプライズゲストとして病気療養中のギターの岸部四郎さん(62)=シロー=が、兄の一徳さんに支えられてステージに登場し、解散時のメンバーが勢ぞろい。いすに座り、かすれた声で懸命にザ・ビー・ジーズの「若葉のころ」を歌うシローさんの姿に、会場のファンからすすり泣く声が漏れた。
かつて、指をさされた女性が失神するとまでいわれたジュリーの「黄金の人さし指」も健在だった。「君だけに愛を」で、沢田さんが「君だけに~」と歌い客席を指さすと、「キャー!」という声があちこちから上がった。
「シーサイド・バウンド」では体を横に揺らすダンス、「シー・シー・シー」ではリズミカルな手拍子と、ファンたちは41年前と同じようにコンサートを楽しんだ。
今回のツアーは、沢田さんの呼びかけで実現。全国38会場で公演し、計約9万人が詰めかけた。初期メンバーの加橋かつみさん(63)=トッポ=の参加はかなわなかったが、沢田さんは「決して僕はあきらめてませんし、全員が『全員で集まってやりたい』と思っていると信じている。命がある限り、全員そろってタイガースです」と話した。
ザ・タイガースは67年にデビュー。途中で加橋さんが脱退し、代わって岸部四郎さんが参加。ヒット曲を連発し国民的な人気グループになったが、わずか4年で解散した。81年の「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル」以降、メンバーの一部が集まり何度か公演をしている。
グループサウンズ・ブームの頂点にいた「ザ・タイガース」の解散時のメンバー5人が24日夜、41年ぶりに東京都千代田区の日本武道館に集った。1971年の解散公演と同じ日、同じ会場で往年のヒット曲を歌い上げ、約1万3千人の観客を熱狂させた。
ボーカルの沢田研二さん(63)、ベースの岸部一徳さん(65)、ギターの森本太郎さん(64)、解散後に高校教師に転身したドラムの瞳みのるさん(65)の4人による全国ツアーの最終日。この日は、病気療養中のギターの岸部シローさん(62)も駆けつけた。
沢田さんが「一緒にこの時間を過ごしてくれてありがとう」と客席に語りかけると、「ジュリー」の声があがり、涙を流すファンも。「モナリザの微笑」などザ・タイガースのヒット曲、ザ・ビートルズの名曲などを、ときに激しく、ときにしみじみと歌うメンバーの姿に歓声がやまなかった。
歌手沢田研二(63)が24日、東京・日本武道館で全国ツアー「LIVE 2011~2012」の最終公演を行った。グループサウンズ、ザ・タイガースとして約40年ぶりに“再結成”したツアーは、昨年9月8日東京・有楽町の国際フォーラムからスタート。当時メンバーだった瞳みのる(65)森本太郎(64)岸部一徳(65)らと一緒に武道館公演を含め全国38カ所で約9万人を動員した。
ザ・タイガースは1971年(昭46)1月24日に日本武道館で4年間の活動に終止符を打ち、解散コンサートを行った。元メンバーと武道館に集まったファン約1万3000人にとって記念すべき公演となった。
この日は岸部一徳がソロで「Tell Me」を歌い、弟の元メンバーでタレント岸部四郎(62)も急きょ駆け付け、メンバー5人がそろった。四郎はハンチング帽にサングラスで、兄の一徳に支えられながらステージに登場。「若葉のころ」をソロボーカルで披露した。岸部は、「全部ジュリーのおかげや。ありがとう」と帽子をとってあいさつ。「1曲といわず2曲といいたいところですが1曲やね」と笑い、「こんなステージに立てるなんて夢のよう」と感謝した。
沢田は、「メンバー全員で立ちたかったです。全員でやれることをぼくは信じています。近い将来実現できることを待っていて下さい」と、トッポこと加橋かつみが加わったザ・タイガースの復活を誓った。
岸部四郎がステージで歌ったのは、82年の「沢田研二ザ・タイガース同窓会記念コンサート」以来30年ぶりとなった。
[2012年1月24日21時54分]
岸部四郎、感激「全部ジュリーのおかげ」
沢田研二と、ザ・タイガースの元メンバーの瞳みのる、森本太郎、岸部一徳をゲストに迎えた全国ツアーの最終公演となる日本武道館公演が24日に行われた。この日は元メンバー岸部四郎(62)が急きょ参加。岸部は「全部ジュリーのおかげでステージに立てた。夢のようです」と感謝の言葉を繰り返した。
GSブームを支えたザ・タイガースの後期メンバーが、1971年1月24日の解散から41年となった24日、ラストコンサートを行った東京・日本武道館に勢ぞろいした。
歌手・沢田研二の全国ツアー最終公演で、森本太郎、岸部一德、瞳みのるに加え、69年からバンドに加わった岸部シローがゲスト出演した。
98年に患った脳梗塞の後遺症で歩行困難のシローが兄・一德に両脇を抱えられ、ステージに登場すると、ファン1万3000人はすすり泣き。シローは「こんなステージに立てるなんて、夢のよう。すべてジュリーのおかげや」と涙し、ビージーズのカバー「若葉のころ」をつぶやくように披露した。
沢田は「命ある限り、全員そろってタイガース。近い将来、もう一度全員でやります」と“完全復活”を宣言した。
歌手沢田研二(63)とザ・タイガースのメンバーが共演した全国ツアーの日本武道館公演が24日に行われた。40年ぶりの「再結成」ツアーは、昨年9月からスタート。全国38カ所で約9万人を動員した。この日は元メンバー岸部四郎(62)が初めて参加。岸部は「全部ジュリーのおかげでステージに立てた。夢のようです」と話した。
岸部シロー“盟友”ジュリーのコンサートに登場
歌手の沢田研二(63)が24日、東京・日本武道館でタイガース時代の同僚、瞳みのる(65)、森本太郎(64)、岸部一徳(65)とまわった全国ツアーを打ち上げた。
この日は特別ゲストとして後期メンバーの岸部シロー(62)も登場。2003年に患った脳梗塞の後遺症で歩行困難になったシローだが、兄の一徳の手を借りて歩いて登壇すると、会場の1万3000人は拍手で迎えた。
沢田が「精神的にも肉体的にも落ち込んでいましたが、ここまで戻ってきてくれた」と紹介すると、シローは「ステージに上れるのは全部ジュリーのおかげ。夢のよう」と感謝し、ソロボーカル曲「若葉のころ」を英語で熱唱。客席からは、すすり泣く声がもれた。
沢田は「命のある限り全員そろってのタイガース。ぼくも63歳。シローはあの状態ですから、近い将来、実現したい」と中途脱退した加橋かつみ(63)を含むフルメンバーの再会を約束した。
早前在排練室為JULIE慶祝生日,也不知他幾多歲,對我來說,他多大也沒有關係。那感覺,坦白說,是有著同性戀的味道。我是心理有數的,旁人看著也許便察覺到,但那也沒關係。只是那天有公演也不好讓氣氛過於性感,我故意不叫他JULIE而只稱呼他"沢田",因JULIE 是女性的名字。
一星期前,為7月19日起在Theater cocoon上演的"沢田.志村の「さあ、殺せ!」"排練。雖有著危險的標題,查實是由他倆演出滿載笑料的音樂劇。我最喜歡笑,就算是過份的也喜愛。…(之後省去300字乃久世拋書包列舉他看過的喜劇…)因此,今次有份演出沢田.志村的劇,十分開心,更何況這個半月,每天都能與我愛的JULIE 見面呢。
有著"命運之女"的同時,也有所謂"命運之男"。我想能夠為這個男子死也願意的,這男子定是美麗的。如今不可置信地,說起命運之女和命運之男,每每我都不其然地掛上微笑。在我的夢想中,是會毫不猶豫地揀選與他一起滅亡罷?我相信他是有這樣的潛能的。到目前為止,我遇見過的美男子,以年代排行的話,有丸山臣吾(美輪明宏)、沢田研二、本木雅宏三個。最初遇上JULIE,是昭和50年(1975),拍攝”惡魔樣的傢伙”的那年。那是與當年秋天"三億円事件"時效同步進行的一齣電視劇,JULIE飾演其中的犯人,此劇亦因JULIE與包庇他的前警視滕竜也的關係曖昧而著稱,收視慘澹,剩下的便只有JULIE 的幻影與及"任意讓時光消逝"這歌。雖然如此,我也很滿足了,只因JULIE是那樣的美麗。
之後拍攝的"源氏物語",也是我不會忘記的。飾演光源氏的當然是JULIE。 JULIE像是一頭黑色怪鳥般振起翅膀降服眾女,雙目有如瑪瑙般炯炯有神,唇有如桃花般輕柔地綻放。雖然一直以來有很多人演過光源氏,但沒一個及得上JULIE 的美麗,這是我引以為傲的。
所以如今我很感滿足,因每天都能心跳加速。戲劇的世界真是美好,就是這把年紀,仍能像年青一般的心動。能偷看著JULIE 的則面,聽著自身因悸動而高鳴的心,一邊死去的話,無論怎樣,我是幸福的罷?
最初にあいさつしたのは1963年(昭和38年)、スパイダースを脱走してブルージーンズに加わった夜のことです。
リーダーの寺内タケシさんは楽屋で僕をメンバーに紹介してくれた。ボーカルの内田さんは上目遣いに僕をじろっと見ました。前から怖そうな人だと思っていたので、僕は「よろしくお願いします」と頭を下げたんですが、その時のことはすごく覚えています。
内田さんは当時から今みたいな感じでした。寺内さんともよくけんかしていた。音楽はビートルズのようなものより、ロックぽいものが好きでしたね。。
ステージでのトークはすごく面白かった。僕を漫才の相方のように使い、しょっちゅう話を振ってきました。彼のステージ運びは僕の財産になりました。
その後も内田さんとはいろいろありました。
寺内さんがブルージーンズを脱退した後、渡辺プロダクションの会議で、僕は担当の部長から「リーダーになれ」と言われた。
その時、内田さんが突然こう言い出したんです。
「加瀬と俺はやめて一緒にバンドを作ります」
驚いた部長は「加瀬、おまえ本当なのか」と僕をにらみつけました。
確かに、その1か月ほど前に内田さんと飲んだ時、「そのうちバンドをやろうぜ」みたいなことを言われたことはあった。でも具体的な話は何もなかった。
それで「何も決めてません」と答えると、今度は内田さんが怒り出した。
「加瀬、この野郎。やるって言っただろう」
険悪なムードになりました。結局、部長が「いま解散するわけにはいかない」と言い、2人ともブルージーンズに残ることになりましたが、内田さんは僕と一緒にやってみたい気持ちがあったんでしょうね。
久しぶりに一緒に仕事をしたのは3年前です。
内田さんは2008年11月に69歳になりました。以前から「俺はロックだから69になったらライブをやるぜ」と言っていた。僕は「いいじゃないですか」と聞き流していた。全く忘れていました。
そしたらジュリー(沢田研二さん)から電話があって「お願いがある」という。内田さんが69になったらライブを一緒にやると約束してしまった、そのプロデュースしてほしいと。
内田さんは京都にいたジュリーたちを東京に連れてきてデビューさせた。義理堅いジュリーはその恩義を感じていたんでしょう。
でも僕は「悪いけど」と断りました。内田さんに「てめえ、ばかやろう」なんて言われてまで今更仕事はしたくなかったんです。
それでジュリーには「2人で考えてやればいいじゃない」と言いました。
ところが翌日、ジュリーからまた電話があった。
「昨日の夜考えたんだけど、日本中さがしてもやっぱり加瀬さんしかいないんです。僕と内田さん、この2人をやれるのは。お願いだから、やって下さい」
そこまで言われたら断れませんよね。
僕がステージの構成と演出をした2人のライブは09年2月、東京の渋谷と内田さんの故郷の神戸で1回ずつ行われました。
プロデュースの仕事はとても楽しかったですよ。