2012年1月27日

タイガース復活! ついに姿を現さなかったトッポにファンは2極化?

"TIGERS 復活,最終加橋沒有現身,歌迷分化?"大家無需認真,呢篇東西係估文嗟。

澤田研二與好友"THE TIGERS"成員一起作全國巡演,早前24日是最終一場。最終日最令人激動便是激瘦的健康狀態不好的四郎也出席,與四十年熱情不變的FANS見面。

可惜,FANS期待的、當年人氣與JULIE平分春色(?! 未算!)的加橋卻未有現身。

一部份的FANS 以為,連與加橋最知心的瞳也復出,加橋一定"飛身撲出"的講法一直都在流傳,只是加橋不置可否。

當初加橋就是以音樂上有不同理念為理由,自TIGERS脫隊,玩失蹤事件更是非常有名。

現在JULIE 與加橋的關係比起以前還要差,因為一次JULIE 喺新聞度話過加橋係黐線架(トッポはキチ○イ),當時這發言引起好大的是非。


加橋本身在"加橋MUSIC CLUB"非常活躍,話過:"沒必要重返TIGERS 啦"。FANS 們有D認為"而家四郎都出現啦,後期成員都齊晒啦,仲駛乜"再結集"丫?",有D FANS 就話"想加橋同四郎齊齊出現只是JULIE一廂情願嗟!",議論紛紛。

目前各成員已過60歲,四郎身體又差,看來加橋那方面要快快有所行動,才能打破SUPERSTAR GROUP既宿命喇。


タイガース復活! ついに姿を現さなかったトッポにファンは2極化

2012年01月26日 15時30分 [エンタメ] 2012年01月バックナンバー

 沢田研二がかつての仲間『ザ・タイガース』のメンバーと共に渡った全国ツアーが先日24日、ついにフィナーレを迎えた。最終日には激ヤセし、健康状態も不安視されているシロ-こと岸部四郎も登場。40年前と変わらぬ冴えたトークを見せファンに健在ぶりをアピールした。

 さて、ここでファンが心待ちにしていたのは、やはりかつてジュリ-・沢田研二と人気を二分していたトッポこと加橋かつみの復帰である。

 一部のファンの仲ではトッポの唯一の理解者であったと言われるピーこと瞳みのる(人見豊)の復帰のこともあり「トッポ飛び入り参加か?」との噂も流れていたようであるが、ついに加橋は姿を表わさなかった。

 加橋かつみは、かつトグル-プ内での音楽性の違いや、グループサウンズ自体への違和感からタイガースを脱退。事務所あげての失踪劇まで繰り広げられた事はあまりに有名である。

 しかしながら、当時より、沢田研二と加橋かつみの仲は最悪で、かつては沢田が新聞で「トッポはキチ○イ」と発言していたという物騒なエピソードも残っている。

  もっとも加橋は加橋でライブハウスなどで精力的に活躍しているため、「あえて再びタイガースに戻る必要は無いのでは?」というトッポ側に立った意見や、「シロ-が来たので、後期メンバーは全員集結。これで再結集ということでいいのではないか?」という意見、「トッポとシロ-揃えての再結集を望んでいるのはジュリ-ただひとりのように見えた」という、かなり覚めた意見もありファンの間では今も議論が続いているようだ。

 もっとも、メンバーは全員元気とは言っても既に還暦を過ぎ、岸部四郎の健康問題という、かなり切迫した問題も残っている。トッポ側にも、何かしらのアクションが求められる展開になるのは間違いないようだ。

 解散から40年、大きな祭りを終えた今でも、ファンの間では議論の絶えないトッポ問題。これぞスーパースター集団の宿命か?

2012年1月25日

一月廿四日武道館消息

昨天的武道館演出,一共有一萬三千觀眾出席。四郎終於站在台上獻唱一曲「若葉のころ」。四郎話,多得JULIE才夢竟成真,一副心滿易足的樣子。看,五虎的笑容多真心! JULIE 話,自己也已63歲,四郎身體又咁,所以願望喺不久既將來,要TIGERS"完全復活" (加橋在內)! 說時非常堅決的樣子。

何止只欠加橋,其實欠我也誠一憾事也。我也好堅決咁約定JULIE,下次TIGERS"完全復活",一定唔會少咗我!

剛看過四郎表演片段。要感激今次直擊報導的KENJISERIES,讓我像是置身現場一樣。四郎係行出台

 



41年ぶり武道館、タイガース全国ツアー千秋楽

グループサウンズ・ブームの頂点にいた「ザ・タイガース」の解散時のメンバー5人が24日夜、41年ぶりに東京都千代田区の日本武道館に集った。1971年の解散公演と同じ日、同じ会場で往年のヒット曲を歌い上げ、約1万3千人の観客を熱狂させた。

 この日は、ボーカルの沢田研二さん(63)=ジュリー=、ベースの岸部一徳さん(65)=サリー=、ギターの森本太郎さん(64)=タロー=、解散後に高校教師に転身したドラムの瞳みのるさん(65)=ピー=の4人による全国ツアーの最終日だった。

 3曲を歌った後、沢田さんが「一緒にこの時間を過ごしてくれてありがとう」と客席に語りかけると、「ジュリー」の声があがり、涙を流すファンも。「モナリザの微笑」「青い鳥」などザ・タイガースのヒット曲や、ザ・ローリングストーンズの名曲などを、ときに激しく、ときにしみじみと歌うメンバーの姿に歓声が止まらなかった。

 途中、サプライズゲストとして病気療養中のギターの岸部四郎さん(62)=シロー=が、兄の一徳さんに支えられてステージに登場し、解散時のメンバーが勢ぞろい。いすに座り、かすれた声で懸命にザ・ビー・ジーズの「若葉のころ」を歌うシローさんの姿に、会場のファンからすすり泣く声が漏れた。

 かつて、指をさされた女性が失神するとまでいわれたジュリーの「黄金の人さし指」も健在だった。「君だけに愛を」で、沢田さんが「君だけに~」と歌い客席を指さすと、「キャー!」という声があちこちから上がった。

 「シーサイド・バウンド」では体を横に揺らすダンス、「シー・シー・シー」ではリズミカルな手拍子と、ファンたちは41年前と同じようにコンサートを楽しんだ。

 今回のツアーは、沢田さんの呼びかけで実現。全国38会場で公演し、計約9万人が詰めかけた。初期メンバーの加橋かつみさん(63)=トッポ=の参加はかなわなかったが、沢田さんは「決して僕はあきらめてませんし、全員が『全員で集まってやりたい』と思っていると信じている。命がある限り、全員そろってタイガースです」と話した。

 ザ・タイガースは67年にデビュー。途中で加橋さんが脱退し、代わって岸部四郎さんが参加。ヒット曲を連発し国民的な人気グループになったが、わずか4年で解散した。81年の「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル」以降、メンバーの一部が集まり何度か公演をしている

ザ・タイガース:岸部シローも登場 解散の地で再集結
 沢田研二(63)の全国ツアー最終公演が24日、日本武道館で開催された。41年前のこの日に解散公演を行った「ザ・タイガース」の後期メンーが集合。
 ツアーメンバーの瞳みのる(65)、森本太郎(64)、岸部一徳(65)に加え、ゲストで岸部シロー(62)も登場。03年に患った脳内出血の後遺症は残るが、ジュリーは「肉体的にも精神的にも落ち込んでいたが、ここまで来てくれる気力が戻ってきた」と紹介。一徳に体を支えられてステージに上がり、か弱い声でビージーズの曲「若葉のころ」を歌った。「ステージに立てたのは全部ジュリーのおかげ」と感謝し、約1万3000人の喝采を浴びた。(スポニチ)2012年1月25日
ザ・タイガース、41年ぶり武道館 解散時メンバー集結

 グループサウンズ・ブームの頂点にいた「ザ・タイガース」の解散時のメンバー5人が24日夜、41年ぶりに東京都千代田区の日本武道館に集った。1971年の解散公演と同じ日、同じ会場で往年のヒット曲を歌い上げ、約1万3千人の観客を熱狂させた。

 ボーカルの沢田研二さん(63)、ベースの岸部一徳さん(65)、ギターの森本太郎さん(64)、解散後に高校教師に転身したドラムの瞳みのるさん(65)の4人による全国ツアーの最終日。この日は、病気療養中のギターの岸部シローさん(62)も駆けつけた。

 沢田さんが「一緒にこの時間を過ごしてくれてありがとう」と客席に語りかけると、「ジュリー」の声があがり、涙を流すファンも。「モナリザの微笑」などザ・タイガースのヒット曲、ザ・ビートルズの名曲などを、ときに激しく、ときにしみじみと歌うメンバーの姿に歓声がやまなかった。


「ザ・タイガース」一夜限りの“復活” 岸部四郎「夢のよう」
 歌手の沢田研二(63)がボーカルを務めた伝説的グループサウンズ「ザ・タイガース」が24日、東京・北の丸公園の日本武道館で“復活”した。
    昨年9月にスタートした沢田の全国ツアーには、ドラム・瞳みのる(65)、ギター・森本太郎(64)、ベース・岸部一徳(65)と当時のメンバーがゲスト参加。この日の最終公演には、岸部の弟で後期メンバーのタレント・岸部四郎(62)も特別出演した。
 03年に患った脳梗塞の後遺症で歩行困難になった四郎は、兄に支えられて登場。ザ・ビー・ジーズの「若葉のころ」を披露した。ザ・タイガースは71年1月24日に日本武道館で解散コンサートを行っており、ちょうど41年ぶりに同じ場所で5人がそろった。
 一夜限りの“再結成”に、四郎は「夢のようです」と感無量の様子。沢田は「これで少し元気になってくれれば」。この日は、初期メンバーでは加橋かつみ(63)だけが不参加となったが、沢田は「全員そろってのザ・タイガース。近い将来、それが実現することを願っています」と言葉に力を込めた。[2012/1/24-21:48 スポーツ報知]


岸部シロー、ジュリーのコンサートに登場
2012.1.25 05:02
しっかりした旋律で「若葉のころ」を歌う岸部シロー(左から2人目)を見守る左から岸部一徳、森本太郎、沢田研二、瞳みのる =東京・北の丸【フォト】 
 歌手の沢田研二(63)が24日、東京・日本武道館でタイガース時代の同僚、瞳みのる(65)、森本太郎(64)、岸部一徳(65)とまわった全国ツアーを打ち上げた。
 この日は特別ゲストとして後期メンバーの岸部シロー(62)も登場。2003年に患った脳梗塞の後遺症で歩行困難になったシローだが、兄の一徳の手を借りて歩いて登壇すると、会場の1万3000人は拍手で迎えた。
 沢田が「精神的にも肉体的にも落ち込んでいましたが、ここまで戻ってきてくれた」と紹介すると、シローは「ステージに上れるのは全部ジュリーのおかげ。夢のよう」と感謝し、ソロボーカル曲「若葉のころ」を英語で熱唱。客席からは、すすり泣く声がもれた。
 沢田は「命のある限り全員そろってのタイガース。ぼくも63歳。シローはあの状態ですから、近い将来、実現したい」と中途脱退した加橋かつみ(63)を含むフルメンバーの再会を約束した。

 歌手沢田研二(63)が24日、東京・日本武道館で全国ツアー「LIVE 2011~2012」の最終公演を行った。グループサウンズ、ザ・タイガースとして約40年ぶりに“再結成”したツアーは、昨年9月8日東京・有楽町の国際フォーラムからスタート。当時メンバーだった瞳みのる(65)森本太郎(64)岸部一徳(65)らと一緒に武道館公演を含め全国38カ所で約9万人を動員した。

 ザ・タイガースは1971年(昭46)1月24日に日本武道館で4年間の活動に終止符を打ち、解散コンサートを行った。元メンバーと武道館に集まったファン約1万3000人にとって記念すべき公演となった。

 この日は岸部一徳がソロで「Tell Me」を歌い、弟の元メンバーでタレント岸部四郎(62)も急きょ駆け付け、メンバー5人がそろった。四郎はハンチング帽にサングラスで、兄の一徳に支えられながらステージに登場。「若葉のころ」をソロボーカルで披露した。岸部は、「全部ジュリーのおかげや。ありがとう」と帽子をとってあいさつ。「1曲といわず2曲といいたいところですが1曲やね」と笑い、「こんなステージに立てるなんて夢のよう」と感謝した。

 沢田は、「メンバー全員で立ちたかったです。全員でやれることをぼくは信じています。近い将来実現できることを待っていて下さい」と、トッポこと加橋かつみが加わったザ・タイガースの復活を誓った。

 岸部四郎がステージで歌ったのは、82年の「沢田研二ザ・タイガース同窓会記念コンサート」以来30年ぶりとなった。

 [2012年1月24日21時54分]

岸部四郎、感激「全部ジュリーのおかげ」

 沢田研二と、ザ・タイガースの元メンバーの瞳みのる、森本太郎、岸部一徳をゲストに迎えた全国ツアーの最終公演となる日本武道館公演が24日に行われた。この日は元メンバー岸部四郎(62)が急きょ参加。岸部は「全部ジュリーのおかげでステージに立てた。夢のようです」と感謝の言葉を繰り返した。

岸部シローも登場…「ザ・タイガース」解散の地で再集結

 
沢田研二(63)の全国ツアー最終公演が24日、日本武道館で開催された。41年前のこの日に解散公演を行った「ザ・タイガース」の後期メンバーが集合。

 ツアーメンバーの瞳みのる(65)、森本太郎(64)、岸部一徳(65)に加え、ゲストで岸部シロー(62)も登場。03年に患った脳内出血の後遺症は残るが、ジュリーは「肉体的にも精神的にも落ち込んでいたが、ここまで来てくれる気力が戻ってきた」と紹介。一徳に体を支えられてステージに上がり、か弱い声でビージーズの曲「若葉のころ」を歌った。「ステージに立てたのは全部ジュリーのおかげ」と感謝し、約1万3000人の喝采を浴びた。

 岸部シロー(左から2人目)のトークに爆笑する岸部一徳(左)、沢田研二(同3人目)、森本太郎(同4人目)、瞳みのる(右端)=日本武道館(撮影・三好信也)

 GSブームを支えたザ・タイガースの後期メンバーが、1971年1月24日の解散から41年となった24日、ラストコンサートを行った東京・日本武道館に勢ぞろいした。

 歌手・沢田研二の全国ツアー最終公演で、森本太郎、岸部一德、瞳みのるに加え、69年からバンドに加わった岸部シローがゲスト出演した。

 98年に患った脳梗塞の後遺症で歩行困難のシローが兄・一德に両脇を抱えられ、ステージに登場すると、ファン1万3000人はすすり泣き。シローは「こんなステージに立てるなんて、夢のよう。すべてジュリーのおかげや」と涙し、ビージーズのカバー「若葉のころ」をつぶやくように披露した。

 沢田は「命ある限り、全員そろってタイガース。近い将来、もう一度全員でやります」と“完全復活”を宣言した。

(2012年1月25日)
 


ザ・タイガース再結成!岸部四郎も参加

 歌手沢田研二(63)とザ・タイガースのメンバーが共演した全国ツアーの日本武道館公演が24日に行われた。40年ぶりの「再結成」ツアーは、昨年9月からスタート。全国38カ所で約9万人を動員した。この日は元メンバー岸部四郎(62)が初めて参加。岸部は「全部ジュリーのおかげでステージに立てた。夢のようです」と話した。

岸部シロー“盟友”ジュリーのコンサートに登場

2012.1.25 05:02

 歌手の沢田研二(63)が24日、東京・日本武道館でタイガース時代の同僚、瞳みのる(65)、森本太郎(64)、岸部一徳(65)とまわった全国ツアーを打ち上げた。

 この日は特別ゲストとして後期メンバーの岸部シロー(62)も登場。2003年に患った脳梗塞の後遺症で歩行困難になったシローだが、兄の一徳の手を借りて歩いて登壇すると、会場の1万3000人は拍手で迎えた。

 沢田が「精神的にも肉体的にも落ち込んでいましたが、ここまで戻ってきてくれた」と紹介すると、シローは「ステージに上れるのは全部ジュリーのおかげ。夢のよう」と感謝し、ソロボーカル曲「若葉のころ」を英語で熱唱。客席からは、すすり泣く声がもれた。

 沢田は「命のある限り全員そろってのタイガース。ぼくも63歳。シローはあの状態ですから、近い将来、実現したい」と中途脱退した加橋かつみ(63)を含むフルメンバーの再会を約束した。

2012年1月19日

美しい男 - 歳月なんてものは

請不要誤會,此人絕不是標題所說的美男。

不久前說過久世光彥 乃是 一位愛慕Julie 的製作人,皆因一本結集了他刊登在報紙雜誌的散文的書"歳月なんてものは"有一篇寫JULIE 的叫"美しい男",簡直是一篇公開的情書。我試著譯:

早前在排練室為JULIE慶祝生日,也不知他幾多歲,對我來說,他多大也沒有關係。那感覺,坦白說,是有著同性戀的味道。我是心理有數的,旁人看著也許便察覺到,但那也沒關係。只是那天有公演也不好讓氣氛過於性感,我故意不叫他JULIE而只稱呼他"沢田",因JULIE 是女性的名字。

一星期前,為719日起在Theater cocoon上演的"沢田.志村の「さあ、せ!」"排練。雖有著危險的標題,查實是由他倆演出滿載笑料的音樂劇。我最喜歡笑,就算是過份的也喜愛。…(之後省去300字乃久世拋書包列舉他看過的喜劇…)因此,今次有份演出沢田.志村的劇,十分開心,更何況這個半月,每天都能與我愛的JULIE 見面呢。

有著"運之女"的同時,也有所謂"命運之男"。我想能夠為這個男子死也願意的,這男子定是美麗的。如今不可置信地,說起命運之女和命運之男,每每我都不其然地掛上微笑。在我的夢想中,是會毫不猶豫地揀選與他一起滅亡罷?我相信他是有這樣的潛能的。到目前為止,我遇見過的美男子,以年代排行的話,有丸山臣吾(美輪明宏)、沢田研二、本木雅宏三個。最初遇上JULIE,是昭和50(1975),拍攝惡魔樣的傢伙的那年。那是與當年秋天"三億事件"時效同步進行的一齣電視劇,JULIE飾演其中的犯人,此劇亦因JULIE與包庇他的前警視滕也的關係曖昧而著稱,收視慘澹,剩下的便只有JULIE 的幻影與及"任意讓時光消逝"這歌。雖然如此,我也很滿足了,只因JULIE是那樣的美麗。

之後拍攝的"源氏物語",也是我不會忘記的。飾演光源氏的當然是JULIEJULIE像是一頭黑色怪鳥般振起翅膀降服眾女,雙目有如瑪瑙般炯炯有神,唇有如桃花般輕柔地綻放。雖然一直以來有很多人演過光源氏,但沒一個及得上JULIE 的美麗,這是我引以為傲的。

所以如今我很感滿足,因每天都能心跳加速。戲劇的世界真是美好,就是這把年紀,仍能像年青一般的心動。能偷看著JULIE 的則面,聽著自身因悸動而高鳴的心,一邊死去的話,無論怎樣,我是幸福的罷?



這篇情書該是寫在2003年,正是「さあ、せ!」公演那年。我第一次去日本看JULIE時,便買了這劇的VHS回來。以下連結是我節錄該劇的一些片段:

さあ、殺せ!の仮装
TOKIO in さあ 殺せ
明日は晴れる in さあ 殺せ

さよなら原発

 
砸心口呀!砸心口呀!

12月23日看完沢田研二LIVE散場時,大堂一邊擺賣四虎的紀念品


一邊擺放NHK SONGS 送給JULIE 的花


另外也貼滿瞳的TALK SHOW宣傳單章及太郎的下個演唱會海報


但其實更大的地方及人力,都給這個"さよなら原発"(向原子能發電說再見)的攤位佔用了,向散場出來的觀眾收集簽名。



當時我已經諗,租用場地的是沢田研二LIVE, 沒他的准許誰也不能在此擺賣或宣傳任何東西,順理成章的,JULIE是讚成棄用原子能罷?本想拿起筆便簽個名,但最後也沒有,因為自忖自己並不是用家,無權說別人是非。棄用?不是簽個名那麼容易的。

今天,赫然發現JULIE 的贊成宣言,砸心口呀!

沢田 研二
美しい日本を護るために一人でも多くの覚悟が不可欠です。
個人としては微力ですが、歩を進めましょう。
声なき声を集めて。さあ!

(為了保護美麗的日本,每一個人都要居安思危。
雖一個人的力量微少,也要踏出向前。
來!收集起沉默的聲音罷!)

今天簽名雖不算遲,只是手續繁複了些,也未能體現本人對教主"毫不猶豫,盲目追隨"的愚忠嘛!

原來這組織也不是叫人家立刻棄用原子能,而是叫停所有計劃中的原子能發電廠,再提倡逐步棄用原子能發電,更要廢用"鈈"這種極危險的輻射物質來發電。本人盲目不要緊,只因教主英明,一於死跟! 萬歲萬歲萬萬歲!

英文情願信+簽名表
http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2011/08/0830sayonara_genpatu_E.pdf

簽完二月尾前請寄去:
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11
総評会館1階 原水禁気付
「さようなら原発」一千万人署名 市民の会



2月13日已把請願信寄出。

2012年1月18日

NHK SONGS -沢田研二 ザ.タイガースを歌う 一月十八日

 
剛在網上看完NHK為四虎播的SONGS特輯,他們一共唱了5首歌,穿插著四虎的真情對話。要說瞳,就不能不說SONGS。事源在2008年NHK為JULIE 同樣製作了SONGS特輯,一方面是宣傳還曆巨蛋演唱會,一方面岸部一德,森本太郎及JULIE 也乘機發表掛念宣言,介紹了LONG GOOD-BY的背後意思,感動了瞳。

NHK SONGS 沢田研二特集

今次沒有特別作曲給加橋,但也由JULIE 親口說有加橋及四郎的才算是TIGERS 復活。我想要收到的人總會收到。要TIGERS永遠不能復活的,總之,絕不是JULIE 啦。

http://www.nhk.or.jp/songs/archive/120118.html
songs 1-18

2012年1月14日

老虎再來

12/23看完2011/12澤田研二LIVE回來後,沒有時間整理相片,也沒時間看瞳寫的書,更沒有跟進各TOMO的BLOG,因為我這一行最忙的是埋年結,公司內沒有上網時間。工餘我要大手大手的重新入貨。只因怪我大意,沒將四年來儲存在電腦的JULIE 的所有東西作全面備份,電腦一死,我也就像是沒了靈魂一樣。可恨的是,yahoo blog跟本幫不上忙,自己也難以從自己blog中搜尋番自己d野!

尤幸的是剪報,CD,DVD,雜誌,歌詞等等,原件仍是收藏得好好的;而
最精彩的,jyanjyan給的電視錄影及早期演唱會,BLOG友也幫忙給還原。剩下來的,便是四年來在Youtube收集的影片,現只能重新收集了。至於粗略譯過的歌詞,唯有再做功夫罷。所以說,Julie 的東西是做不完的。

正正在”input mode" 中,沒心情
"output",所以沒有新Blog。

還有其他運滯野,也令人提不起勁。能夠寫這篇東西交代一下已經是極大的進步。令我精神一振的,竟然是這一首"老虎再來"! 你們聽聽是否
有此神效?

http://www.youtube.com/watch?v=sJWsnRoFQJI