加瀨同內田裕也於渡邊年代有過些過節,以至加瀨曾經鬧過內田「てめえ、ばかやろう」。沒有共事差不多40年,直到2009年,內田裕也快70歲,內田說要同Julie重溫美夢,搞個ROCK Concert 過癮下。Julie再三遊說加瀨,說成個日本只得他稱職,為這個演唱會做製作,加瀨才答應的。加瀨說,Julie因為感謝內田把Tigers從京都帶出黎東京,所以點都要滿足內田這個願望。加瀨形容Julie用"義理堅い", 單看漢字,都明解。
2009年2月,咪就係這個”きめてやる今夜”。

僕と内田裕也さんとは長いつきあいになります。
最初にあいさつしたのは1963年(昭和38年)、スパイダースを脱走してブルージーンズに加わった夜のことです。
リーダーの寺内タケシさんは楽屋で僕をメンバーに紹介してくれた。ボーカルの内田さんは上目遣いに僕をじろっと見ました。前から怖そうな人だと思っていたので、僕は「よろしくお願いします」と頭を下げたんですが、その時のことはすごく覚えています。
内田さんは当時から今みたいな感じでした。寺内さんともよくけんかしていた。音楽はビートルズのようなものより、ロックぽいものが好きでしたね。。
ステージでのトークはすごく面白かった。僕を漫才の相方のように使い、しょっちゅう話を振ってきました。彼のステージ運びは僕の財産になりました。
その後も内田さんとはいろいろありました。
寺内さんがブルージーンズを脱退した後、渡辺プロダクションの会議で、僕は担当の部長から「リーダーになれ」と言われた。
その時、内田さんが突然こう言い出したんです。
「加瀬と俺はやめて一緒にバンドを作ります」
驚いた部長は「加瀬、おまえ本当なのか」と僕をにらみつけました。
確かに、その1か月ほど前に内田さんと飲んだ時、「そのうちバンドをやろうぜ」みたいなことを言われたことはあった。でも具体的な話は何もなかった。
それで「何も決めてません」と答えると、今度は内田さんが怒り出した。
「加瀬、この野郎。やるって言っただろう」
険悪なムードになりました。結局、部長が「いま解散するわけにはいかない」と言い、2人ともブルージーンズに残ることになりましたが、内田さんは僕と一緒にやってみたい気持ちがあったんでしょうね。
久しぶりに一緒に仕事をしたのは3年前です。
内田さんは2008年11月に69歳になりました。以前から「俺はロックだから69になったらライブをやるぜ」と言っていた。僕は「いいじゃないですか」と聞き流していた。全く忘れていました。
そしたらジュリー(沢田研二さん)から電話があって「お願いがある」という。内田さんが69になったらライブを一緒にやると約束してしまった、そのプロデュースしてほしいと。
内田さんは京都にいたジュリーたちを東京に連れてきてデビューさせた。義理堅いジュリーはその恩義を感じていたんでしょう。
でも僕は「悪いけど」と断りました。内田さんに「てめえ、ばかやろう」なんて言われてまで今更仕事はしたくなかったんです。
それでジュリーには「2人で考えてやればいいじゃない」と言いました。
ところが翌日、ジュリーからまた電話があった。
「昨日の夜考えたんだけど、日本中さがしてもやっぱり加瀬さんしかいないんです。僕と内田さん、この2人をやれるのは。お願いだから、やって下さい」
そこまで言われたら断れませんよね。
僕がステージの構成と演出をした2人のライブは09年2月、東京の渋谷と内田さんの故郷の神戸で1回ずつ行われました。
プロデュースの仕事はとても楽しかったですよ。